先日、所要があって、かつて通っていた中学校の側を通った時のこと。
私が通っていた中学は小山の上に立っていたのです。毎日の通学は自転車で、坂道を毎朝立ち漕ぎでエッコラショとばかりに上り、学び舎に通っておりました。
私の学年は人数が多く、1学年13クラスあり、1クラス50人以上でした。(今では考えられないと思います)
中学校は結構年期が入った校舎で、私達学年は、人数的に全クラス校舎内に入らず、6クラスは学校敷地内にプレハブを3個1セットで2つ設置して対応してました。
運悪く、私はプレハブ校舎クラスで、空調設備など全く無く、冬は極寒の中で、夏は全てのドア、窓を開けまくり、虫も出入り自由なオープン環境で1年をすごいことになりました。
卒業後、プレハブ校舎は生徒数の減少で物置とかに利用されていたようですが、知らないうちに取り壊されていったみたいです。
まぁ、これは仕方ないよね~って思います。
世間では少子化に歯止めがかからないなど、問題になってますが、いまいちピンときてませんでした。
先日元学び舎を見るまでは。。。
5月晴れのさわやかな風が吹き抜ける中、私は所要を済ませるために自転車で軽快に走行してました。中学生の時は、さほど苦にならなかった坂道は、今や心臓破りの坂道に姿を変え、登り切った時は形相が変わるほどになってしまいました。
息を整え、見渡せば爽快な青空と白い雲。キレーだなーっと見ていて ん!? っと疑問に思いました。
記憶では、確かここから見渡すと中学の校舎が目の前に見えるはずなのに、見えているのは青い空と白い雲。
えっ????
校舎が消えてる!?
首を動かすこと無く、目だけで左右を見れる範囲にあった中学校の校舎が無くなってたんです!
一瞬思考が止まりました。
私の中では、学校はいくら時代が進んでも、ある程度自分の記憶の中のものと変わらないと思い込んでたんです。
変わっても、周辺のプレハブがなくなったり、建物の塗装が変わったりとするだけと思ってましたし、それ以外は内装は変わっても建物自体が無くなるのは学校が閉鎖して無くなる時としか考えていませんでした。
私が通った中学校は、L字型校舎の4階建てだったのですが、なんとL字の長い方の校舎がまるまるなくっていたということにようやっと気づいたんですよ。
人間びっくりすると空いた口が塞がらなくなるといいますが、まさにそのとおりでした。
所要のことも忘れ、どうなっているのか確認したくなり、学校の周りをぐるりとじっくり見て回ってみると、残ったL字の短い校舎はものすごく近代的にほぼ全面改装されておりました。(あくまで外観的に)
校庭では、中学生が部活に励んでましたが、校舎の小ささを考えると、約生徒の半分は校庭にいるんじゃないかという人数。
日本の少子化をダイレクトに実感できた瞬間でした。
通った幼稚園はもう跡形も無い
時代的に保育園があったかどうだかわからないんですが、私は保育園に通ったことは無く、小学校に入るまでは、幼稚園にしか通ったことはありません。
その通った幼稚園は、現在ではお寺?になっているよです。
もともと確か、園長先生が仏教関係の人みたいだったようで、経営を切り替えたと親同士が話しているのを聞きかじったきがします。
幼稚園は、私が小学校に上がって2年ほどでお寺に変貌したそうです。
この頃から、子供の人数が地域的に徐々に減ってきた感じですね。
しかし、私の同年代は多いので、全く気が付かず、周りからしてみれば、遠足の時など、子供の大移動という珍しい光景だったと思います。
小学校は未だに健在
小学5年生まで過ごした小学校は、未まだ私の記憶の中の小学校そのままの状態です。
遊具などは危険だとか、補償問題が~って理由でほとんど無くなってしまってますが、現在も校舎は私が通っていた時と変わらないみたいです。
私はすでにそこを離れて久しいのですが、偶然地元でまだ住んでいる同級生の同じクラスの人に合うことがあり、話の中で今の小学校の様子を聞くことが出来たんです。
一番下の子が、来年その小学校を卒業するんだとか。
親子二代で同じ小学校というのも、中々面白いですね。
高校は。。。
確認しに言ってもいいんですが、今住んでいるところから結構な距離があり、わざわざ交通費使ってまで確認しに行くほど思いい入れもないので、未確認。
ただ、私達が卒業した後、あまり銭でパソコンを購入したってことはきいてました。
金返せ。
今日のような休日、日差しを避けて午前中に買い物を済ましてしまおうと買いだしに出かけると、何故か老人がいっぱいです。
子連れのお母さんや、育ち盛りの思春期などはほんとに人数か少なく、ほとんど老人。
足取りオボ付かず、歩いてすれ違うのも気を使います。
ほんとに日本は少子高齢化に待ったなしなんだと、自分の生活圏内で実感した春でした。
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