タイトルの意味がわかるのは最後の方で、文書でないと面白さが全く無くなってしまう作品でした。
これを映像化すると、やっぱり残念感が拭えないものになるので、小説として読むのが一番と思います。
まさに活字のマジック。
お話は豪邸の主の誕生日に主が殺害され、その親族関係者なども殺害されていく連続殺人ミステリー。
犯人からすれば予想外に殺害された一人を覗いて、殺害を完成させた形になるんだろね。
思うのは、謝罪の仕方って、加害者が十二分に謝罪したって思うことより、被害者がちゃんと納得できる謝罪でないと意味が無いってこと。
被害者が「もういい」と加害者にいうまで償いは終わらないってことがこの作品でよく分かる。
最近ちゃんと謝罪できない人間が増え続けている。
謝罪と理不尽な過剰要求は違うってこともわかってない人の多いことおおいこと。
言葉はこれだけたくさんあるのに、使い分けられてないのは、ちゃんと自分の時間をかけて予備知識とされるものを学んでこなかった結果なんだろうな。
国語は漢字や読み方を勉強するのと同時に、使い分けで意味は違ってくるのと、ほんの些細な違いでまったくちがう思いをいだかせてしまうということ。
それを教えるのが学校、家庭なのに、教え方間違っているような気がする。
家庭でも言えるけど、精神を蔑ろにすると、後でろくな事にはならないのは分かりきったことなんだから。
いじめでもそうだよね。
いじめてる人たちはいじめの自覚が無い。
いじめられている方は精神を病み、心に傷が出来て、癒すのに多大な時間をかけないといけない。
癒せない時は、いじめを行ったものへの復讐に転化する。
日々の言動や行動は自分以外の人間に対しては、たとえ家族でも礼儀をわきまえ、丁寧に対応しないといけないと思う。
人間で居たいのであれば。
目線 (幻冬舎文庫 あ 31-2) 天野 節子 幻冬舎 2010-10 |
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