ページ

2013年7月9日

お褒めの言葉をもらうとどうしていいかわからない【ちょっと吐き出したかっただけなのでスルーして下さい】

自分自身褒めてもらって育ったことなどただの一度も無く、どういうリアクションをとったらいいのかわからず、なんか挙動不審になってしまう。

思い出せる限りでは、両親に褒めてもらいたくて、小学校2年生ぐらいの時テストで100点を取り、当然良くやったと褒めてもらえると思っていたのに、「できて当然、やれて当たり前」っと云われてから努力するということを辞めてしまったことに起因するような気がする。大人から見ればまぁそれは当然なのだろうけど、子供の私にとってはそうじゃない。努力しても無駄なのだと。うっすらと思ったのだろうな。

それからはとにかく毒にも薬にもならない行動言動を取り、 親からしてみれば手のかからない子供だったようだけど、私としては親への信頼心は無くなり、家族は信用してはならない同居人という意識になってしまった。

大切なことは誰にも話せない。心は晒せない。どうせ鼻で笑われるだけ。 からかいの種にされるだけ。隙を見せてはいけない。始終警戒しておかないと。そんな疲れる日々。

外でも家でもそういった行動言動しか取れなくなると、友達とか親友は全く皆無になる。本音が話せないのだ。受けとめてくれるものなどいない、褒め言葉をもらっても素直に喜ぶことができない。どうせ内心では全く違うことを思っているのだと勘ぐってしまう。

血の繋がった同居人達には、ドン臭い、おっとりという褒め言葉とは真逆の言葉しかもらったことがない。これが何十年と云われ続け自分自身に染み入ってくると、たまに調子のいいことを云われても猜疑心しかなくなる。お金をせびるためか、はたまた使いっ走りか、結局利用しようとしているだけなんだなと。

確かに私はドン臭い、おっとりした人間かもしれないが、感情が無いわけではないのだ。
毎回云われるごとに蓄積されるストレス、比例して鎧は分厚くなっていく。

こうなると、他人でも相手の一挙手一投足を穿った視点でしか見れなくなる。なので、距離は全く縮まらない。

 現職場でも大いに鈍くささを発揮していると思う。

そんな時にうっかり褒め言葉をかけられると、どう反応すればいいかわからず、自虐的な返ししかできない。

こんな自分に、生きている間に、隣にいても深呼吸が出来る人、ちゃんと向き合うことの出来る人と出会える日なんてありえるのだろうか?

 とりあえず今私にできることを一生懸命やろうとするけれど、方向性が斜め上のような気がしてならない。。。


0 件のコメント:

コメントを投稿